国王の「足るを知る経済」

サゴンナコン県の人口は111万人。東北タイ19県のなかでは10番目に位置する。その中規模の県にラーチャパット大学のほか首都圏に本校を置くカセサート大学、ラームカムヘーン大学、ラーチャモンコンエ科大学も地方分校を開設していたから大学と大学生の数はすでに多すぎるほどであった。

ラーチャパット大学の前身は教員養成学校であり、教育学部の学生も2400名と一番多い。しかし学生に人気のある学科は筆頭が工学部コンピュータ学科であり、以下、経営学部の会計学科、観光学科、人文学部の英語学科の順であった。学費は1学期が1,500バーツ(15コース)、年間で3,000バーツ。構内に学生寮がないため自宅通学ができない学生は共同で市内のアパートに部屋を借りる。生活費は月1,500バーツから2,000バーツ(5,600円)ということであった。

驚いたのは昼間コースの学生のじつに8割が農民の子弟だったことである。もちろん両親に大学に通わせるだけの資力はない。ではどうするか?タイではチャワリット政権の時代に(1996年)国家育英基金を設置し、高校から大学院までの学資を無利子で融資する制度を開始した。

2003年当時、年間予算は280億バーツ(780億円)という巨額なもので、利用する学生の数は210万人にも達していた。サゴンナコン県の学生の大半も、この国家育英基金を利用することで大学への進学が実現したのである。問題は進学ではなく卒業後の就職である。

東北タイの東北に位置するサゴンナコン県で大卒者を採用する職種といえば地方官庁、学校、銀行や生命保険会社の地方支店、ホテルくらいしかない。このうち公務員の新規採用は通貨危機のあと削減もしくは中止になっていた。県が募集する小中学校の教員の競争倍率は当時200倍にも達した。

ただでさえ数が少ない民間の企業や工場でも、経営者側か希望するのは大卒者ではなく職業高校や2年制の短期大学で「実学」を学んだ学生たちである。タイでは高卒者と大卒者の間に給与の面で大きな格差が存在するので給与の高い大卒者は敬遠されるのである。

そのため大学はでたものの就職先がないもしくは希望する職種に就けないという「高等教育と労働市場のミスマッチ」が生じた。このミスマッチはいまや全国規模で生じている。彼らをバンコク首都圏の企業が吸収できない以上、地方で雇用を創りだすはかないだろう。

そうした要請は、経済が悪化している2008年以降はいっそう切実になっている。わたしの個人的な考えでは雇用政策のひとつは大卒者の農業従事者をつくることである。というのも環境と共存し、安全な農産物を提供し、安定した農業経営を維持するためにはIT関連知識、経営学や会計学、化学や土壌学の知識が不可欠になっているからである。「大卒者による新しい農業」が将来拡充すればタイの経済と雇用はより安定すると思うがどうであろうか。

グローバル化と経済の自由化はタイ社会に著しい影響を与えた。クローバル化は確かに経済ブームをもたらしたが同時に通貨危機の原因にもなった。通貨危機のあとも2002年の鳥インフルエンザ、2004年末のスマトラ沖大地震と津波といった外的ショックが続く。

こうした事件は現代世界が不確実性に満ちていることをいやが上にもひとびとに認識させる契機となった。一方、自由化の方は管理と競争の強化を通じてストレスを増加させ、タイ社会から微笑みや「タイらしさ」を奪いつつある。それではタイはこうした状況にどう対応しようとしているのか。

回答のひとつが「足るを知る経済」(セータギット・ポーピアン)の推進である。「足るを知る経済」は日本では充足経済と訳されることが多い。しかしポーピアンは仏教が教える「少欲知足」からきた概念である。そのニュアンスを生かすために、ここでは「足るを知る経済」と訳した。「足るを知る経済」の発想は1997年2月4日、恒例である誕生日前日の国王の講話に端を発する。

通貨危機が勃発したこの年、国王は次のように語った。なお、話にでてくる虎とは世界銀行が「東アジアの奇跡」の中で、タイを韓国、台湾、香港、シンガポールに続く「第五の虎」と呼んだことを踏まえたものである。

「近年、多数のプロジェクトが実施され、じつに多くの工場が建設された。タイは小さな虎にとどまらず、大きな虎になることを考えてきた。ひとびとは虎になることに狂奔してきた。しかし虎になることは重要ではない。重要なことは足るを知る経済だ。足るを知る経済とは自分たちの足で支える経済のことである。100%を目指す必要はない。今の経済の半分、いや4分の1を足るを知る経済に変えるだけでも十分である」

— posted by チャッピー at 06:01 pm