ベトナム共産党が権力を維持する方策

共産党指導部は中央委員が250名、政治局員が15名前後という極めて少人数で最高決定を行なうシステムになっている。そのうちでも勢力範囲は二極化している。国際的な経済も理解して経済運営を中心とする南部出身の「改革派」と軍と公安警察を中心とする社会主義体制を擁護することを主眼とする「保守派」である。

さらに出身地域のバランスも変わった。ベトナムは南北に1700キロと細長い領土を持つ国でそれぞれの地域によって歴史的な発展速度が違い地域差が大きい。その点を考慮して党書記長・国家主席・首相という党内序列第1位から第3位の役職には北部・中部・南部と3つの出身地域のバランスを考慮して人材が配置されてきた。いわば「トロイカ方式」が成立していたのである。

だが第10回党大会ではこのような地域バランスは考慮されなくなった。出身地より保守派・改革派という政治的な立場と個人的な能力の方を重視する現われである。例えば同党大会とその1年後の総選挙の結果に基づいて構成された国会での議決を見ると党内順位第1位には先に見たノン・ドウック・マイン書記長、第2位には国家主席ではなくてレーホン・アイン公安相、第3位がグェン・タン・ズン首相、第4位がグェン・ミン・チェット国家主席となっている。

第1位の党書記長と第2位の公安相は北部保守派を代表していて第3位の首相と第4位の国家主席はいずれも南部のホーチミン市で都市経営と経済問題を担当した経歴を持つ南部改革派のリーダーなのである。この布陣の意味は異なった解釈の余地を残している。

一方では北部の保守派の勢力がまだ政治的なリーダーシップを維持していて、経済中心の改革派に国家経営を自由にさせるのをチェックしていると解釈出来る。他方、これは共産党一党支配体制の見せ掛けだけで国家主席と首相という国家機構の中軸を南部の経済畑出身の2人のリーダーが占めていることは実質的に体制維持のためにも経済発展重視で行くしかないことの表現であると解釈する人もいる。

1つだけ確かなことは、国際的な開放政策が進むにつれ国家間の条約や協定が結ばれる頻度が増えるので、対外的には共産党よりも国家機構の存在感の方がより重きをなしているということである。国内的には党書記長の方が国家主席よりも政治的な力はあったとしても国際的には国家主席が元首とみなされ党書記長は元首としては扱われない。

2007年11月に来日したチェット国家主席は歴史上初めて国賓の扱いを日本政府から受け、天皇皇后主催の宮中晩餐会が開催されたが、その折に党内序列第四位であることが、その会で話題となった。国内的には党書記長がナンバーワン、国際的には国家主席が元首としてナンバーワンの扱いを受けるという矛盾を解消するために国家主席と党書記長を兼任させる考えもより一層現実味を帯びることになった。

1996年から2001年まで書記長をしていたレーカ・フューの時代にも国家元首と党書記長を兼任する考えが議論されたことがあった。だが、その考えはフュー書記長の個人的な野望とみなされて1人の人間に権力が集中しすぎて個人独裁を生む危険があるとして排除された。しかし国際社会への参入の仕方が深化するにつれ国内的な視点と国際的な視点で矛盾が生じることを防ぐという観点から兼任の可能性は著しく高まってきた。

次回の第11回党大会が開催される2011年頃には具体的な提案として出される可能性がある。というのも、この国家主席・党書記長兼任論の具体化の論議と関連して萌芽的ではあるが、大統領制導入も一部では検討されているからである。米国を始めとする西側先進国から民主化要求は強まっている。

その民主化要求の目玉として政治改革をして制度的に共産党の一党支配を終焉させるために複数政党制の導入と公平な選挙の実施を求められているのである。もちろんベトナム共産党は徹底的な制度改革には反対で、運営面で徐々に自由を国民に広げていき政治参加を拡大することで不満を吸収する方策を盛んに試みている。

しかし将来複数政党制を導入せざるを得なくなった時でも共産党が権力を維持する方策の1つとして大統領制が構想されているのである。

— posted by チャッピー at 05:28 pm