タイ経済の「構造調整期」

1980年に誕生したフレーム政権は、この長期不況を受けて1981年に国際通貨基金(IMF)に対して緊急救済融資を1982年3月と1983年4月には世界銀行に対して合計3億2550万ドルの借款をそれぞれ要請する。一方、国際機関はタイに対して融資と引き換えに政策合意(コンディショナリティ)と呼ばれる経済政策の見直しを要求した。

具体的には為替の調整(1981年と1984年のパーツの切り下げ)、公営バスなどへの政府補助金給付の廃止、そして1980年当時七三社を数えた国営企業の見直しなどがそれである。

同時にフレーム政権はその後のタイのマクロ経済の運営に大きな影響を及ぼす新しい制度や枠組みを次々と導入する。例えば経済閣僚会議を新設し、公的対外債務の使途目的や金額の上限を検討する国家債務政策委員会を設置した。

あるいは政府と民間諸団体の間で経済問題を定期的に協議する「経済問題解決のための官民合同連絡調整委員会」を発足させた。このような経済構造の再編を目的とする世界銀行のプログラムは通常「構造調整融資」(SALS)と呼ばれる。1980年代前半のタイ経済を「構造調整期」と呼ぶのはそのためである。(末廣・東編2000年)

タイ経済を一変させる契機となったのはプラザ合意である。1985一年に先進5カ国の財務相・中銀総裁(G5)がニューヨークのプラザホテルに集まり、主要国の為替の国際調整を実施したのがプラザ合意である。

このあと日本の円は1985年の1ドル238円から翌1986年には218円へと急速な切り上げが進み、同時に韓国、台湾などのアジアNIES(新興工業経済群)の間でもドルに対する自国通貨の切り上げが進行した。この為替の調整は2つの異なる海外直接投資の動きに発展する。ひとつは日本企業の先進国向け投資を促した。

つまり日本から輸出していた工業品を消費地(アメリカなど)での現地生産に切り替えたのである。もうひとつは日本やアジアNIES企業による東南アジア向け投資の急増を引き起こした。こちらはアメリカ市場への迂回輸出が目的であった。そして後者の直接投資の恩恵を最も受けた国がほかならぬタイであった。

タイ向け直接投資の動向を投資委員会のデータをもとに整理したものである。プラザ合意から3年後の1988年を起点に直接投資が急増していることが分かるであろう。この第一次段階の投資ラッシュを牽引したのは日本企業であった。1990年に入るとアジアNIES企業がこれに加わる。

そして海外からの直接投資のあとを追う形でタイ人企業の投資も急増していった。それでは直接投資ブームはタイ経済をどのように変えたのか。この点を実質経済成長率と輸出金額(ドル赤字)の変化で確認しておこう。

何より目を惹くのは経済成長率をはるかに上回る輸出の伸びである。実際1985年から1995年の間に輸出は71億ドルから557億ドルヘと7倍以上に増加し、年平均伸び率は20%を超えたほどである。なお、図には示していないが製造業は1988年から1995年の間に年平均13%とGDP年平均成長率の10%よりも高い成長を示し、逆に物価上昇率は五%と相対的に低い水準にとどまった。

要約すると1988年から始まる経済ブームを引き起こしたのはフレーム政権が実施した構造調整政策の結果というよりも日本・アジアNIESのタイヘの企業進出ラッシュであり、彼らが推進した工業製品(繊維、家電、機械機器類)の迂回輸出の増加のほうであった。

輸出先はアメリカ市場である。この点はアジアNIESのキャッチアップ型工業化の発展パターンと変わらない。(末廣2000年)より重要な点はこの時期のタイが経済構造、産業構造、輸出構造、労働市場のすべての面で大きな変化を経験したという事実である。そこで経済ブームを間にはさむ1985年と1995年の間の変化をみてみよう。

GDPに占める一次産業(農林水産業と鉱業)の比率はこの11年間に28%から11%に低下し、製造業の比率は22%から28%に上昇した。次に製造業に占める軽工業と重工業の比率をみると1985年の60対40から1995年には45対55に逆転した。(重工業が軽工業を抜くのは1994年)

これ以後タイは自動車、鉄鋼、石油化学に代表される重化学工業を軸に発展の道を歩んでいく。輸出品の構成をみても同じ期間に農林水産物の比率は42%から28%へと劇的に低下し、逆に工業製品のそれは34%から65%へ大きく上昇した。

タイからの輸出品の顔ともいえるコメは1985年当時はまだ輸出全体の12%を占めていた。その比率は1995年には3%強にすぎない。労働市場をみても農林水産業の従事者が労働人口に占める比率は69%から47%へと低下し、生産労働者の比率は11%から21%へと上昇している。

以上の数字からも分かるようにタイは経済ブームのなかで農業国から工業国へと完全に離陸した。ところで世界銀行は1人当たりGDPが3000ドルを超えた国を「上位中所得国」と定義している。この定義にしたがえばタイは1996年(2965ドル)に「中進国」の仲間入りをほぼ果たしたことになる。

こうした急速な経済構造の変化はアジアNIESを別にすると他の発展途上国には見ることができない。アジア諸国の急速な工業発展を「東アジアの奇跡」と名づけた世界銀行は同行の報告書の中でタイをアジアNIES4ヵ国・地域(韓国、台湾、香港、シンガポール)に続く「第五の虎」と呼んだが、それには十分な根拠があったのである。(世界銀行1993年)

— posted by チャッピー at 03:59 pm